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きれいで正しい日本語を使おう

そもそも国語の時間というのはなぜあるのでしょうか。言葉は普段の生活に欠かせないものであり、普通の人なら特に学校で習わなくても、慣れてしまえばそんなに困りません。昔は(今も少しは)学校に行けず識字すらままならない人もいましたが、それでも死ぬほどのことではありません。

しかし、言葉を覚えることによって、全ての国民が意思疎通できることはとても重要です。法律や役所の言葉もそうですし、本や新聞で情報が共有できますし、遠くの人と言葉が通じないのでは経済も発展しないでしょう。

ですから国語の時間で学ぶことは、普段の日常会話ではなく、日本人になら誰でも通じる正しい日本語になります。
国語といえば漢字や慣用句などを覚えるとか作文をするとかがすぐに思いつきますが、それは正しい日本語を使うためのほんの一部分であり、当然それができた上で長い文章を理解したり、書いて他人に意志を伝えたりができるようにならないといけません。

つまり、日常会話とは別に、正しい日本語も使いこなせるようにならなければいけないのです。もしも正しい日本語を普段ほとんど使わなければ、英語の学習と同じく大変な苦労をするわけです。
日本語と英語のバイリンガルになるのは簡単ではありませんが、日常会話と正しい日本語のバイリンガルなら、普段の心がけと学習で、かなりこなせるようになってくるはずなのですが…。

  ( K )

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言葉を考える 4

前回、方言での日常会話に一工夫を、というお話をしました。私は方言は嫌いではないので普段もよく使います。それに、特に年配の方に多いのですが、方言で話をしないとすぐに理解してもらえないことが多いので、相手によって方言・標準語・方言と標準語の間、の3つの喋り方を使い分けています。

年配の方相手の時だけではなく生徒と問題を解いているときでも、問題の意味をうまく理解できないときには、徳島弁で説明するとすぐに理解してくれることがあります。問題文は大体が正しい標準的な日本語になっていますから、普段きれいな正しい日本語を聞いたり喋ったりしていないと、一度ではピンとこないということになっているからのように思えます。

ではいつどこできれいで正しい日本語に接するのかということになりますが、一番そうあるべきなのは学校だろうと思います。しかし参観日に学校の授業を見てみても、フランクな話し方をしている先生も多く、学校だけには頼れません。
ならば本や新聞を読むことの重要性がクローズアップされるのですが、読まない人にはこれがまた難しいことです。

普通の大人でも、役所の作った文章は意味がわからないとか、何かの問い合わせで電話をかけたら標準語で話をされて意思疎通に苦労したとか、そんな人もたくさんいます。このまま文章を扱うのが苦手な子供が増えていくと、それは受験勉強どころではなくて、将来この国はどうなるんだろうなあとちょっと心配になってくるのです。

  ( K )

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言葉を考える 3

「今晩何作るん?」
「何するで?」
「麺類」
「また!」

という会話には言葉が足りませんね。もう少しだけ追加してみましょう。

「今晩は何を作るんえ?」
「何が食べたいで?」
「麺類が食べたい」
「また麺類って好きやなあ!」

家庭での会話ですから、あまりに丁寧なのは不自然ですし、方言で話しをすればいいと思うのですが、これくらいならば普段の生活で話しても不自然ではないでしょう。そしてこのぐらい言葉を追加したところで、喋るのが面倒になるほどのことではないと思います。
言葉の選び方は家庭の文化かもしれませんし、口下手かお喋り好きかにもよるでしょうが、このわずかな違いが積み重なるので、子供が小学生になる頃には大差になっていると思いますし、中学生になってもこの調子では作文や発表が上手くできるはずはありません。

方言であっても助詞を適切に使うこと。文末まで表現すること。話しをするのを面倒がらないこと。
普通にできている家庭が多いですが、全然できてない家庭もそれなりにあり、そういう親子の会話を耳にすると、なんとも不安な気持ちになってしまいます。

無くて七癖と言いますが、子供の頃には変な癖がついてしまうものです。見た目の癖は敏感に直そうとするものですが、この言い回しの癖は親が手本になっていることが多く、直そうとしないのでなかなかやっかいな問題ですね。

  ( K )

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言葉を考える 2

まず、小学生に多いのは、助詞を読み飛ばすというか、敏感にキャッチしないということです。
「が」「は」の違いや「と」「も」の違いなどは、全く意味が変わってしまうことも多いですが、どちらでもある程度通じてしまう場合もあります。
例えば、「味がいい」と「味はいい」は、どちらも食べて美味しいことを言っているようですが、ニュアンスが違います。「味はいい」と言われると、(ほな、何があかんのかい?)と思うのが普通です。つまり何か気に入らないことがある、というニュアンスが含まれているわけです。

大人であればこの違いは当たり前に感じ取れるはずですが、国語の苦手な小学生あたりですと、適当に使ったり、うまく読み取れなかったりします。

大人になったらいつの間にかできるんだから、そんなに子供のうちから…と思うかもしれませんが、こういう一文字違いに敏感に反応できないと、文章を一回読んだだけですべて正確に理解することはできないでしょう。

これは、家庭での言葉遣いで改善するかもしれないと考えています。親子の会話というのは、往々にして単語だけとか短い文章になりがちです。いつもの表現ですから言いたいことの想像がつきますし、顔を見ながらであれば表情でかなりの部分が伝わります。

しかし、次のような会話には何か足りないものがないでしょうか。

「今晩何作るん?」
「何するで?」
「麺類」
「また!」

こんな会話、いくらでもありますよねw。でも少し工夫をしてみたいのです。

  ( K )

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言葉を考える 1

受験の試験問題で最近特に変化が著しいのは、問題文が長くなったことでしょう。大学入試は言うに及ばず高校・中学入試でも、長い文章を読ませる問題が明らかに増えています。

国語・英語はもちろん数学・理科・社会でも、会話文を読んで状況を理解した上で、「さて問題です」と問いかけられる物ばかり、と言ってもいいかもしれません。問題の最後までたどり着いてみるとレベルはそれほどでもないのですが、文章を読むのが下手だと、意味が頭に入ってこないので時間がかかったり勘違いしたりしてしまいます。
そのせいで簡単な問題で失点ということになるのです。問われていることの意味がわからないのですから当たり前といえば当たり前ですが。

近年、文系よりも理系がいいと言ってもてはやす傾向が顕著でしたが、ここまでたどり着いて全体の流れを俯瞰してみると、数学理科でも文章を素早く読みこなす能力が問われているわけで、結局は言葉を扱うという文系的要素は必須なのです。

ただ数式やプログラミング言語と違って普通の言葉が難しいのは、その言葉の選び方や使い方に明確な理由がなかったり、慣習によって長年そうなっている、という曖昧な部分が多いからでしょう。しかし、少なくともテストの問題の文章は簡潔明瞭で誰でも同じ意味で読み取れるはずですし、そうでなければいけません。

それなのに、意味を取り違えたり読み飛ばしたりなど、いろいろと不思議なことは起こります。しばらく言葉について考えてみたいと思います。

  ( K )

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プロフィール

Author:Shigemi
徳島県で、家庭教師や塾講師をして、20年が過ぎました。そこで、この経験を生かして、小・中学生の君たちや、お父さん、お母さんに、何か少しでも役立つようなお話ができる気がして、このブログを始めることにしました。中学受験のこと、高校受験のこと、学校のこと、塾や家庭教師のこと、家庭学習や勉強の方法など、色々なことをお話ししたいと思っています。2013.7.19.

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